故郷播磨での喜び
酒 井 美 意 子(旧姫路藩主酒井家の直系・酒井忠元氏夫人)
1992年(平成4年)神戸新聞総合出版センター 発行
ー『平成の灘まつり』へのご寄稿文より-
祭りの熱気や華麗さが好きで、国の内外の祭りをかなり
見てきた私も、灘の喧嘩祭りのようにエネルギッシュな
躍動を感じさせる祭りを見物したのははじめてである。
神輿が地響きたてて激突するたびに、私も首を縮めながら
わけのわからぬ喊声をあげる。そしてこの祭りにひきこま
れ、とけこみ、一体化している自分に気がつき、
「これぞ祭り!」だと思った。 以上が原文。
当時の戸谷市長が御招待し、作家の陳舜臣御夫婦らと共に
楼門前広場の前に設えた、桟敷席から、豪華な屋台を華々
しく練り競い、三基の神輿を激しくぶつけ合う異色の行事
はつとに有名であると述べられ・・・・・
色鮮やかなのぼりの間を縫って威勢のよい掛け声が響き
渡る。迫力満点である。
年配者の指示に一糸乱れず服従する若い人々。
着飾った女性たちは撮影に余念がない。
参加する人も見物する人も、ともにこの日を待ちわび
楽しんでいるさまが如実に伝わってくる。秋の陽ざしが
熱く眩しい。・・・
「このように灘まつりを表現され、最高の賛辞で記述して
頂いたものをこうして改めて読み返してみると、実に的を
得てて嬉しい限りです」。
☆ 酒井美意子様とはこんなお方です☆
大正十五年 加賀前田家十六代当主前田利為侯爵(当時)の
長女として生まれる、母は旧姫路藩主酒井家宗家二十代当主
酒井忠興公の次女菊子、同家二十二代当主、酒井忠元公と
結婚。マナー評論家・皇室評論家・きもののハクビ総合学院
百合姿きもの学院学長。 平成十一年享年七十三歳でご逝去。
百合姿帯枕は、改良型で手軽にバリエーションが楽しめると
つとに有名になり和装業界にはご縁の深いお方でもあります。
皇室にもご造詣があり、著書は『ある華族の昭和史』他多数
「お金持ちって誇らしい事なんでしょうか?」は名言。
ご紀行文の紹介にもどりまして、
きらびやかな屋台をよく観察すると、精緻な美術品で随分
高価なものらしい。これを手荒に扱って毀したら勿体ない。
と同郷ゆえに心配になってくる。
正午前に、御旅山服の麓にある矢倉畑に設えられた桟敷へ移動
擂鉢の底で行われる祭りを見物するのだが、私はギリシャの
野外劇を思い浮かべた。古代より同じような状況で行われて
いたが、この瀬戸内海に臨み古くから文化の開けていた当地は
人類の文化の故郷ギリシャと共通点があるように思えた。
カラフルなシデ竹や金色眩しい屋台にみとれながら、神輿が
ぶつけられあがる喊声やどよめきにひたりながら、
そこに私は太古から変わらぬ男性の勇猛さ、こわさ、日本人の
凄さを感じていた。
これは観光化されたショーではない。生身の人間同士の
ぶつかりあい、男性復権の雄たけびである。・・・
そして女性たちは男性の奮闘を讃え、腕白坊やに苦笑する
母性愛の如きものを漂わせながら楽しげに見守り、拍手を
惜しまない・・・。
さらに、見るともなく見えてしまった近くの桟敷の人々が広
げている弁当の豪華さ、聞くともなく聞こえてしまった
人々の話し声でわかる仲のよさーーーここ播磨の国は豊かで
ゆとりのある土地だと、故郷を同じくする者として何よりも
嬉しかった次第である。
平成二十九年度 灘のけんか祭り 年番舊松原村
10月14日 土(宵宮)・15日 日 荒天順延有り(昼宮)
阪神(山陽)電車 特急停車 梅田駅より90分
大混雑が予想されます、危険と思われる処は避けて見物して
下さい。
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