松原八幡神社秋季例大祭の歴史
ー旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみー
ここで云う、昭和初期とは12年7月に勃発した
支那事変までをさしています。
(写真:平成27年拝殿前の舊松原村屋台)
昭和9年・・・緊張して神事執行
去る9月21日の大暴風雨(室戸台風)で農作物・人家・家畜に
被害があり、大きかった地方を念頭に置き、緊張して神事を
執行することを条件に屋台差出しが許可になり賑々しく行った。
練番妻鹿
昭和10年・・・宵宮の宮入時間を短縮・宮入順一部変更
10月1日八幡神社社務所における警察との恒例連絡会で
中村の取締から要望があり、屋台を早く納めたいので
宮入時間を短縮してほしいとの申し出があり、協議した
結果、東山と木場の宮入時間を一時間短縮し、12時に
東山が宮入して宮にいる間に木場が宮入、
昨年松原と八家が紛糾した事態を防ぐための両村の交渉
が行われ、宮入順を一部変更することとし、
宵宮の宮入時刻と宮入順は、正12時東山、12時半木場
13時松原、13時半八家、15時妻鹿、15時半宇佐崎
16時中村となった。
[注] 近年は変更に変更を重ねてきた事が知りえる。
祭典当日は、宵宮が晴天、昼宮は朝から曇りがちで心配し
たが、雨にはならず例年通り矢倉畑で木場との二台練りが
特に盛況だった。練番東山
(写真:平成27年の舊松原村屋台、御旅山上りの前髪たち)
昭和11年・・・田植えが遅れたが、気候が順調で豊作
が予想され、宵宮・昼宮とも好天気で、大した事故もなく
無事祭典を終了した。宮入は昨年変更したままで行われた。
練番八家
昭和12年以降戦時中の「灘まつり」
昭和12年7月から20年8月にかけての八年余の間は、
多くの若者たちが兵士として召集され、戦場に赴いては
次々と命を失い、傷ついて行った時代で、
悲しく苦しい時代でした。
当時の世情は、生きていくだけが精一杯で、従前のよう
な盛大な祭りは中断されたまま戦後に至りました。
がしかし、戦時中も
出兵兵士の武運長久祈願
出兵兵士の家族による祈願祭
皇紀二千六百年祝賀大会
のほかにも、祭礼日の十四日のみは屋台差し出し
これらの様子も詳しく書き残されています。
練り子役を終えたはずの年配者や、入隊前の若者たちで
屋台を担ぎ、祭りにふさわしい御馳走などもなく
まことに素朴な屋台練りでも、練子たちの表情は喜びに
あふれ、一心不乱に心をこめて練り競う姿に
老人、婦人、子供たちを主にした多くの見物人たちは
言い知れぬ大きな感動を受けたと伝えられています。
「灘まつり」の屋台練りには、私たち地元人が
生き生きと生活していくために不可欠の何か大きな
魅力と活力が秘められているように思われて
なりません。
その一端が、戦時下にみる残された家族の助けあい
とつながりの深さで表現されています。
参考文献
松原八幡神社秋季例大祭の歴史
ー 旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみ ー
発行日 平成七年十一月十五日
執 筆 寺脇弘光(郷土史家)
発 行 灘の松原自治会
編集長 北村泰生(写真家)故人 敬称略
この冊子は編集製本に五年余の歳月を要し完成しました
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