まつり 昭和 初期 中編

松原八幡神社秋季例大祭の歴史

ー旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみー

現在は祭典前日に入念に整備(写真)し執行を祈念している

門前ですが往時は現在の桟敷席周辺は青々とした松林でした。


松原八幡神社正遷宮(しょうせんぐう)の行事・・・屋台練り

昭和4年、先年来継続して行われてきた神社の修理工事が完成

5月4日から6日まで記念行事を催し、一日は屋台を出すこと

になった。

第一日は紅白の餅一重ねがお宮から各戸に配られたが、

桜大刀自神社改修の上棟式とも重なり、その餅つきなども行て

この餅も各戸に一重ねずつ分配した。


第二日目は、各村屋台が例大祭の宮入り順に東山を先頭に

お宮に集合し、表門前で仲睦まじく練り廻したあと順に帰村

したが、松原屋台は桜大刀自神社前に練込み、屋台蔵に納めた。


[注] 「 松原八幡神社の改修は、神霊を別の仮殿に移した上での

本格的な改修工事ではなかったので、正確には正遷宮ではな

かったはずですが、心情的に正遷宮と同様に受けとめ、この

用語を使ったものと思われます」と

寺脇弘光(郷土史家)先生は記されています。

< 2001年4月6日 満開 賑わう桜大刀自神社の祭礼 >


昭和4年の例大祭・・・賑々しく執行 練番八家

農作物やや良好、例年通りの条件を守り執行した。


松原屋台の修復 

白木屋台の塗り、伊達縄の追加注文。

費用は村所有の白浜の宮駅付近の藪地(やぶち)を売却し当てた。


昭和5年の例大祭・・・無事執行

不景気のためにどうなるかと思っていたが、例年通り無事執行

できた。練番木場


昭和6年の例大祭・・・無事執行

稲作は二化螟虫(めいちゅう)の被害甚大で近年にない大凶作で

したが祭典人気は衰えず、賑々しく無事執行した。練番宇佐崎。


昭和7年の例大祭・・・宵宮一騒ぎ・昼宮延期

14日帰村の際、浄照寺前で妻鹿の獅子に衝突、署長の仲裁で

事なきを得て、松原屋台が無事に通る。15日は雨で延期


16日は朝曇り、昼大雨となる。二時頃に神輿、木場に続き

矢倉畑西へ登るところへ、妻鹿の幟差込みごてごてして旅所へ

帰村の際にも矢倉畑より県道に下りる際、又妻鹿の幟差し込み

妻鹿の幟を松原と引き合いして大喧嘩になるところを、署長や

警察の執成しで治まり幸い負傷者も無く、無事屋台庫に納めた。

練番中村


昭和8年の例大祭・・・昼宮途中で大雨

今年は松原の練番で14日の宵宮は好天気で賑々しく祭典を

執行した。

昼宮の天気は良くなく、各村の宮入りが終わり、

神輿が山道にさしかかった時大雨となり、屋台もすぐ山を下っ

て帰村した。負傷者も二~三名出たが、大したこともなく無事

に終了した。なお、昨年の紛擾(ふんじょう)があった時、

幟が損傷したのを見ていた、当丁出身者より寄付の申し出が有

り、従来の羅紗から塩瀬で新調した。


些細なことの始まりから意地の突っ張り合いで大事に発展して

しまうことがあるので「けんか祭り」の所以とも言わています

が幸いにも近年はそのような事も少なくなりました。


次回につづく


参考文献

松原八幡神社秋季例大祭の歴史

ー旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみー

発行日 平成七年十一月十五日

執 筆 寺脇弘光(郷土史家)先生

発 行 灘の松原自治会








Keisyou-an

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