まつり 昭和 前期 前篇

松原八幡神社秋季例大祭の歴史

ー 旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみ ー



この頃、我国の社会は第一次世界大戦時からの好況によるのどかな

世相は跡形もなく消え去り、世界的大不況に見舞われたかと思うと

国際的な紛争が頻発して戦争の影がしのび寄り、やがて大戦争に突入

美しい国土を焦土と化し、身や心を粉々に荒廃させてしまった時代

でした。


この間、「灘のけんか祭り」は世の中が不況や暗い時代になればなる

ほど、不安感を吹き飛ばすかのように、大正期以上に盛大な

祭礼行事を繰りひろげましたが、昭和12年7月に始まった

日中戦争(支那事変)が突発してからは、例大祭の執行は事実上

不可能となり、時に応じて臨時的な屋台練りが行われる時代が続き

ました。



昭和2年 例大祭・・・無事執行

大正天皇が崩御されて一年を経過せず、諒闇中なので特に静粛を旨

とし、質素に行うことを条件に許可され、その条件を守りながら

賑々しく祭典を執行した。練番は妻鹿


昭和3年 例大祭・・・賑やかに執行

農作物は豊作、昭和天皇即位の御大典の直前ということもあって

人気は上々、賑やかに祭典を執行した。練番は東山


松原屋台の売却と新調

買い手希望2箇所の中、深志野へ太鼓・狭間・彫刻・名物の鯱を

残して売却する。白木新調は棟梁岡本重作氏、衣装、金物などを

それ発注した。(注:船井長次氏よりの寄贈が多くあった)


昭和天皇天皇即位の御大典祝賀行事・・・屋台練

昭和3年11月10日に京都で御大典が行われたのをお祝いして、

11月15日から17日までの三日間祭礼行事、

新調した松原屋台の組み立てが終わったばかりでまことに記念す

べき行事となった。


15日は松原八幡神社まで屋台を出し、東山から祭礼の宮入順に

お宮に着いて、順次帰村する予定であったが、各村屋台が相次い

で到着、遂に門前で七台の屋台が一緒になって、菜の花に飛び交

ふ蝶のように仲睦まじく一時間余りにわたって練り競い、

この様子を見物人たちは口をきわめて誉めたたえた。その後

松原屋台は桜大刀自神社に練り込んでから屋台蔵に納めた。


16日・17日は各村それぞれの催し物があって無事三日間の

行事を終了した。


次回につづく


参考文献

松原八幡神社秋季例大祭の歴史

ー旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみー

発行日  平成七年十一月十五日

執 筆  寺脇弘光(郷土史家)

発 行  灘の松原自治会

     会長(当時)田中康夫

                   (敬称略)

今回の内容は主に、白浜町西区(現、灘の松原自治会)

古西之丁・東之丁に実在する、永代帳から

編集長 北村泰生(故人)・副編集長 継谷芳久が

執筆を寺脇弘光(郷土史家)先生に依頼したものより。






Keisyou-an

和服全般、祭衣装、神輿、屋台、地域の文化の情報をお届けします よろしければ Nifty へ

0コメント

  • 1000 / 1000