市史 姫路大博覧会

 博覧会とモノレール


 一九六六(昭和四十一)年四月三日から六月五日まで、手柄山中央公園のほか、名古屋霊園、大手前公園の三会場で開催された。

 播磨臨海工業地帯の中核都市発展した姫路を内外に紹介し、地域産業の振興をはかるために開かれたもの、姫路にとっては、戦後初めての大規模な博覧会だった。


 「あすの日本の夢つくる姫路博」をテーマに、会場には近代工業館、電力館、電波館、自動車館など二十館が並び、連日、人、人、人のにぎわい、期間中の入場者は百五十万人を数えた。



 また、姫路駅から手柄山中央公園まで、博覧会にあわせて全国で初めてのモノレールが開通。新しい交通システムとして注目された。 


( 以上、姫路百年  発行 姫路市  関連記事全文)

 当時の石見市長から、”姫路博覧会で「灘まつり」の屋台練りの実演をやって欲しい”との強い要請があり、再三協議した結果、手柄山中央会場で屋台を練り、屋台はそのまま博覧会で展示することになった。


 当時の様子を、舊松原村 中之丁永代帳より寺脇弘光(郷土史家)先生は次のように紹介されています。


 四月三日、曇り空であったが、午前九時、各地区屋台が松原八幡神宮に集結した。

数千人の大行列は、浜国道を西に進み、妻鹿町を経て永世橋を渡り、(中略)

陸上競技場に無事到着した。この時、博覧会場よりポンポンと威勢のよい打ち上げ花火が上がって・・・。(省略)


(『姫路百年』 掲載写真より、全景・屋台練りと見物客様子)

 午後一時、打ち上げ花火を合図に、木場を先頭に屋台の練上げが始まった。会場西口より花時計周辺・ちぎり橋にかけて、灘っ子の屋台練りにかける心意気を心ゆくまで披露し、これを見た十数万人の観衆から、その勇壮な屋台練りにヤンヤの喝采を受けた。・・・。


 五月十五日、朝から土砂降りの雨で、屋台の里帰りはどうなることかと心配されたが。

(中略)雨の中も何のその、展示館から屋台をだし、松原は妻鹿と並んで花時計周辺・・


威勢よく練り。傘をさして見物する多くの観客を喜ばせ・・・町、町で多くの人が見送り太鼓の響きも軽やかに・・・松原の西口に着く頃には多くの村人が出迎えた。



 会場への行き帰りは全て徒歩であった


※写真は上から、回転展望レストラン(現在も営業しています)当時は珍しかった

全国戦災都市空爆死没者慰霊塔、宮殿造りの中央会場、平和記念資料館※




参考文献


姫路百年   発行姫路市


松原八幡神社秋季例大祭の歴史

 ー旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみー

 発行日 平成七年十一月十五日

 執 筆 寺 脇 弘 光(郷土史家)先生

 発 行 灘の松原自治会


Keisyou-an

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