ひな人形の生い立ち

三月三日  ≪上巳(じょうし)≫(桃の節供・雛祭り)

ひな人形を飾って女の子の美しい成長と幸せを願う家庭が増えてきました。


平安時代、貴族の子どもの遊びに使われた人形、「雛(ひいな)」がもとで、

室町時代、公家のあいだで若い女性に雛と雛道具を贈る習慣ができてきますが、

人形は 『紙』 で作られていました。


江戸時代の始めまでは雛屏風の前に2,3対の紙雛を飾って、ひし餅や白酒を供えてたようです。


元禄の頃、布で公家の正装「有職故実(ゆうそくこじつ)」の姿で座った『内裏雛』が現れ、『御所雛』とも呼びましたが、

江戸時代の中頃、紙以外の『お内裏雛様』・『お雛様』人形や調度品を飾り始めて、

京・大阪と江戸では、飾り段に違いがありましたが、立派な「雛飾り」になりました。

 生家には、大きな「お雛様」の七段飾りがあり、妹たちとママゴト遊びをした記憶がありますが、相続した兄が娘たちに飾ったのかどうかは分かりません。


昔は、早く飾って、桃の節供が過ぎると3,4日中に、毛バケなどでほこりを払って手入れし、顔や手は薄紙で包んでしまうようにと、父がよく言っていましたが今は防虫・乾燥剤がありますから入れて少しは安心ですね。


有職故実とは当時の関係有識者が決めた朝廷、公家、武家に受け継がれる、行事やマナー、 儀式、慣習、装束についての決まり事を記したもの。


    

    

参考文献

『お母さん、これなあに

~美しい季節のならわし~』

発 行:エンゼル出版・(株)JDC

発 売:(株)サンエス




Keisyou-an

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