松原八幡神社秋季例大祭の歴史
ー旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみー
寺脇弘光(郷土史家)先生の著書によると、大正七年の例大祭は、舊松原村の神輿練番、本宮途中から降り出した雨が続き、二日後に行事が再開される。
朝鮮龍山在住の一人、大阪在住の三人からそれぞれ神輿幟、屋台幟の寄付の申し出があり、協議の上、大阪の高島屋、縫屋に注文。
大正七(1918)年十月九日午後一時、浄照寺の梵鐘を合図に大西の丁から、鬼坂を掛け、必要な場所を掃除し、そのあと山へ向かい、危険な箇所を修繕してから煮干し一斗を肴にして酒一挺(四斗入)を飲み、午後四時無事帰村解散 (神輿古幟持参)。
十四日、宵宮は行事を無事経過したが、十五日は早朝から人を集めて午前七時に潮掻(しおかき)に出発、東から西に向かい、寺町を抜けて水尾筋(みおすじ)を東に廻り、宮前の粕場(かすば)で潮掻を行った。その時、東山はすでに宮入り中だったが、運わるくその頃から雨が降り出して他の村は宮入りできなくなったため、村長、区長、分署長が協議して祭典延期を決め、東山もやむなく宮を出て帰村した。
翌十六日も雨が止まず、十七日に延期となった。松原はまたまた午前七時から潮掻きをしたが、幟は三の丸の幟一本で済ませた。祭礼行事は午前九時から次々と屋台の宮入りがあり無事に賑々しく行事を執行した。
ー『白浜村西区古西丁永代帳』および『東ノ丁永代帳からー
掲載写真説明 2016年(道中獅子舞)・2010年神輿練・2010年(潮かき/白浜海水浴場)(本幟と暖をとるための焚き火とお神酒を準備中しながら様子を見守る氏子と観客)・2010年(本宮 宮遷し 拝殿~鳥居を三往復する)
参考文献
松原八幡神社秋季例大祭の歴史
ー旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみー
発行日 平成七年十一月十五日
執 筆 寺 脇 弘 光(郷土史家)先生
発 行 灘の松原自治会
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