まつり 三日間

ご存じでしたか、松原八幡宮(松原八幡神社)では、

宵宮の前日にあたる十月十三日に例大祭の官祭の儀式

が行われていた事を。

寺脇弘光先生が執筆された本によりますと、

神仏分離のあと、明治新政府は四年五月太政官布告

によって社格の制度を定め、全国の神社を格付けし

ましたが、松原八幡宮は明治六年十一月二十五日に

郷社(ごうしゃ)と定められ、次いで同十四年四月

二十三日県社となり、明治四十四年秋の例大祭から

神餞(しんせん)料と弊帛(へいはく)料を供進(

ぐしん)される神社として県庁から供進使として役

人が派遣されるようになり、終戦時まで続きました。


註釈:神餞料は神様にお供えする酒食代、弊帛料は

神様に捧げる礼物代としての金銭。当時のお金で、

合計十五円でした。



亀山節夫宮司が平成四年発行の『平成の灘まつり』

(神戸新聞総合出版センター刊)に発表された、

「十月十三日例祭官祭次第」によると、


十三日の祭儀は、兵庫県庁から派遣された供進使

(県官)の到着を待って午前九時から執行されま

したが、この祭儀に参列したのは郡長・警察分署

長・村長・区長・氏子総代・学校長・生徒・巡査

等。


この日、社前に幄舎(あくしゃ)が設けられ、伶

人(音楽を奏する人)や参列者が着座すると、供

進使や神職たちが手などを清める手水(ちょうず)

の儀で祭儀が始まり、供進使が唐櫃(からびつ)

を神前に置いたあと修祓(祓え)の儀があり、

・・中略


その時の儀式の様子を詳しく紹介され、宵宮・昼

宮へと続く祭事の状況が伺えます。


明治四十四年から大正期を経て昭和前期の終戦時

までの松原八幡神社の例大祭は、公式には十月十

三日から十五日(神輿合わせ)にかけての三日間

ということになっていたようです。


幼い頃に祭りの後、露店とか見世物小屋が出てた

のは記憶に有ったが、このことは知りませんでし

た。こうしてブログを始め、改めて読み返して見

る時、見過ごしたのか忘れたのかと自問自答する

昨今です。


参考文献

 松原八幡神社秋季例大祭の歴史

 ー旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみー

 発行日 平成七年十一月十五日

 執 筆 寺 脇 弘 光(郷土史家)先生

 発 行 灘の松原自治会

 平成28年昼宮矢倉畑・神社奉納記念石碑






Keisyou-an

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