明治後期の「灘まつり」の状況。報告書より
飾磨郡教育会編『飾磨郡風俗調査』(明治四十五年発行)
当時の小学校長有志が郡内の風俗習慣や民間行事を調査
結果に刷新改良上の意見を加えた本によりますと、
「秋祭り前、遠方の親戚へ案内状を出す。近村へは、
甘酒鮓(すし)を贈りて案内する。此頃姫路は勿論、
淡路地方より呉服商人の入込むもの甚だ多く・・・。
祭典に際して衣服を新調する習慣ある為なり。
宵宮当日、早きは午前九時頃より屋台を舁(かつ)ぎ
参詣す。此の際、各村の衝突を避くるために遅速の
順番を定む。帰宅後来客を接待す。
翌十五日即ち祭の当日は、早朝より準備して、正午
迄に全部宮入りをなす。此式終われば練番は(各村
々一年交代にて神輿を舁ぐ)拝殿に安置したる、
三台の神輿を舁ぎ出し、社内門前山麓山上の四箇所
にて搦み合ひをなし渡御をなす。
註釈:この記載により、神輿合わせは御旅山山上で
も行われていたようです。
神輿の搦み合いは、警護人をして、六尺位の青だけを
持ち、之をつきはりて転覆を防ぐ。
全山が見物人にてすこぶる壮観。
参詣人は何れも美服を纏い、美を競うものゝ如し。
註釈:40年近く前までは、この様な光景が私達も記
憶に有ります。
宵宮の日、婦人は徹夜して、弁当の準備をなし、受負
(うけおい)人が翌早朝山上に運ぶ。
註釈:お料理を詰める重箱も輪島塗のような高級漆器
が惜しみなく使われています。
昼宮には、家人は多忙で来客接待の為、少しの暇もな
い様な状態。
十六日・十七日の両日には、夜店を見に出づる者甚だ
多し。
塩田等の稼ぎ人は、その際に翌年の賃銀を前借する習
慣があり。以て費用が身分不相応に多額なるを察する
ことが出来る。」
旧中村の平成29年度のカレンダーの表紙に
「ふるきよき 灘女の祭姿」と題して付いてるのを、
懐かしみながら書いています。
ー灘女の貴女たち、ありがとうございますー
参考文献
松原八幡神社秋季例大祭の歴史
ー旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみー
発行日 平成七年十一月十五日
執 筆 寺 脇 弘 光(郷土史家)先生
発 行 灘の松原自治会
祭 写真は、ふるさか こおじ氏fbより拝借しています。
0コメント