松原八幡神社秋季例大祭の歴史
ー旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみー
近世松原八幡宮例大祭の歴史は氏子村や氏子の尽力で盛大な
祭礼行事へ発展して行った過程で、神社のための祭りから、
氏子のための祭りへと大きく転換した背景には、当時の一般
的村落と比較して、戸数・人口規模が大きい村で、各村とも
地元産業が製塩業・回船業・鉄工業(松原釘)・窯業・綿業
などの諸産業が発達して、住民の多くがこれらの諸産業に従
事し経済的にも恵まれていたことです。
農業・漁業・大工・左官・石工などの各種職人、医師、商人
とさまざまな職業を生業とする住民が、松原八幡宮を中核に
七村に分かれて軒を連ね生活していたのが実情のようです。
多数の村に細分化されることなく、わずか七つの村で構成
され一村当りの戸数・人口が多くこれが例大祭を盛大化さ
せて行く原動力になったようです。
灘七村の住民は一年の稼ぎを祭りに注ぎ込んでしまうと
言われようと、灘のけんか祭りに寄せる心意気は高く、
次々と各種出し物を差し出して多様化させ怒号と歓声の
渦巻く活気あふれる祭礼行事へと盛大化させて行ったよ
うです。
参考文献
松原八幡神社秋季例大祭の歴史
ー旧松原村を中心にした「灘のけんか祭り」のあゆみ
発行日 平成七年十一月十五日
執 筆 寺 脇 弘 光 (郷土史家)先生
発 行 灘の松原自治会
写真は現在の松原八幡神社と松原山八正寺の紅葉
今年の広畠、舊松原村の露払い行事寸時の休憩
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