灘のけんか祭りがおわり、あちらこちらで「のじぎくの花」が
咲きだしたら、「インノコ」造りを始めたのは昔々の
「おはなし」です。
子供の頃(小学生)に何度か造った記憶をイラスト
してみましたが、その頃はこんな感じだったんかなと思います。
誰かに教えられながら造った記憶がないから、先輩達のを見て
覚えたのかは定かではない。
材料は、タルキ、釘、藁縄、藁、野路菊のみ。
新藁は麦と米の二毛作で稲刈りは晩秋で農家から、野路菊は今
は県花で貴重な植物ですが、当時は、塩田の海水引き込み溝の
土手などに自生繁殖し沢山咲いている花を束にしてました。
本棒のタルキは120センチ程度、四本柱は80センチ程度
だったと記憶しています。
新藁を縄で巻き、丸い直系40センチ程度の丸い輪を作って
おきます。
後は、「みこし」の台と練り棒をつくり、新藁と野路菊で飾り
つけをした記憶があります。
その頃、主に一緒に造った友が今は大病院の名誉院長で遠い人
の為、イラストが確認出来ないのが残念です。
練り出しの掛け声や囃子詞はよく覚えています
「いんのこは しんわらで きくのはな つぼみがの~
ひらいての~ ア~さしたんよ~ さしたんよ~」
「よおいやさ~よおいやさ~ あわそかもってこい~」
「あわそかもってこい~」
このようにして、遊んだのが「インノコ」です。
八幡宮さんの前近くまで行くと、他地区から立派な「インノコ」
を練ってて、自分達はそのまま引き返した、悔し懐かしい記憶
が残っています。
最近知ったことですが、
インノコとは亥の子、つまり旧暦10月の亥の日今年を例にする
と11月13日・25日に行われる行事のことだそうですが、その頃
はしばらくの間、毎日のように遊んだように覚えています。
もともとこの行事が、大地を藁束で叩いてその生命力を高め、
豊作を願う意味を持った【亥の子搗き】であったことに由来
するそうです。
現在はこの遊び(風習・行事)は全く消えてしまいました。
自生の野路菊も少なく殆んど見る事がなく、残念な事です。
子ども達が協力し合うことが少なくなっていくのは寂しい
現実ですね。
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